まあね、それはそれはもう最悪なクソガキでした。
私が記憶しているところからお話いたしましょう。
たしか、幼稚園の年少クラス(当時3〜4歳)の頃、
私はすでに文字を書くことが出来ていました。
もう楽しくて楽しくて文字ばかり書いていました。
隣の同級生を見て、まだ文字を書けない子を見ては、
「そんなんも書かれへんかいな?」
と小馬鹿にしていました。
そうするとその男の子が親に言って、
その親がまた先生に言ったらしく、
その先生から怒られたのをいまだに鮮明に覚えております。
私は小さいころから、母方の祖父、祖母に育てられました。
祖父は繊維業の自営業をしていて、
母もそこで働いていたので、ずっと一緒に生活していました。
その祖父はもう厳しくて厳しくて、食事ひとつするのも大変でした。
ご飯は米粒ひとつも残さずに食べなさい。
食事中は一切話をするな。
魚は綺麗に食べなさい。
お茶碗の持ち方などなど
一緒にご飯を食べるのが嫌になるほど徹底的に教えられました。
そうゆうことの次に話すことと言えば、必ずこうゆうことでした。
『おじいちゃんたちが小さい頃はな・・・』
祖父は現在86歳で戦争体験者でした。
なんせそのころは食べ物がなくて大変だったそうです。
だから食べ物は粗末に扱うなと。
私も歴史が大好きなので、そのころはどんなんやったん?
と聞くとなんでも教えてくれました。
兵隊に行って、お国のために戦いたかったけれども、年齢が足りなくて行けなかった。
とか、
祖父の父親が兵隊の時に持っていた軍刀がまだある(実際に血のようなものが付着していたそうです)
とか、
敗戦してアメリカ人を実際に見て、大きくて怖かったとか、
アメリカ人が乗っていたJEEP車が格好良くて欲しかったとか、
トポス(ダイエー)の所に当時アメリカ軍が駐在していて、食料を配給していて、恐る恐るチョコレートなどを貰いに行ったとか、
色んなことを教えてもらっていました。
仕事っぷりもずっ〜と見ていて、もう現在は仕事を辞めていますが、最後の方は中国の経済成長のおかげで仕事量も減っていたそうです。
自営業の厳しさもこの目で見てきているので、
今、自分がこうやってお客様に御来店いただいて喜んでいただき、生活できていることに本当に感謝です。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
そしていつも大変ありがとうございます。
あと、これは余談になりますが、
祖父にね、あの当時の欲しがっていたJEEP車から進化したラングラーアンリミテッドあたりを乗せてあげたいですね。